当神社について

頭之宮四方神社とは

伊勢の宮川に注ぐ渓流が巡る三重県度会郡大紀町、森厳佳境の霊境に鎮座する頭之宮四方神社は、「おかしらさん」と呼ばれ親しまれる名の通り、日本で唯一「あたまの宮」と名付く神社で、頭に関する諸祈願に霊験あらたかな頭之守護神・知恵之大神であります。特に首より上の諸祈願、厄除け、方位除け(八方除け)の諸祈願に信仰を集め、各地より参拝をいただいております。

御祭神

当神社では、平安京を造営された第五十代・桓武天皇の後裔(子孫)である唐橋中将光盛卿(からはしちゅうじょうみつもりきょう)の御神霊を主祭神としてお祀りしています。建久2年(1191年)平安末期のご創建と伝えられております。

御由緒

当神社の傍(かたわ)らを流れる渓流「唐子川」の奥に、恐ろしい岸壁が聳(そび)え立つ高い山の上に、「中将倉(ちゅうじょうくら)」と呼ばれる場所があり、そこは昔「唐橋中将光盛卿」が居城を構えていた処であります。

当神社の由緒については以下のような言い伝えがございます。(※現代の言葉に直しています。)

唐橋中将光盛卿の亡き後、ある日のこと、村の子どもたちが社地を流れる唐子川にて遊んでいると、川上より髑髏(しゃれこうべ)が一つ流れて来るのを見つけました。子どもたちがそれを何気なく拾って水に浮かべて戯(たわむ)れて遊んでいると、たまたまそこを通りかかった村の老人がその様子を見て、子供達に向かって「不浄なり」と諭し、その髑髏を捨てさせて子どもたちをそれぞれの家に帰らせました。

しばらく老人がその場を去らずにいると、老人は見る間に気が狂い始めて大声で何事かを語り始めました。

「私は唐橋中将光盛である。今この辺りで子どもたちを相手に楽しく遊んでいたにもかかわらず、お前が来て私に向かって屈辱を与え、遊びを妨げた。もし、私の髑髏を崇め祀るなら、お前の乱心を止め、万民に幸福を与え、永く守護しよう」と。

それを聞いた村人たちは大変このご神託を恐れ敬い、深く老人の非礼を謝り、神託のままにこの地に神殿を造営して髑髏を祀ったのが、今の頭之宮四方神社であります。

以来、霊験あらたかなる事(ご神徳があること)がたびたび起こり、特に首より上部にまつわることを祈ると、不思議にも神様の助けを得られたことから、誰が云うとなく頭之守護神・知恵之大神として尊崇され、その広大無辺なる(果てしなく広く大きい)神佑(しんゆう、神様の助け)を称賛賛美するに至りました。

このような由緒から、当神社の「頭」「四方」にまつわる由緒を窺い知ることができます。

頭之宮四方神社

御神徳

日々の生活(いのち)とは、「い」は生きる事で、「ち」は知恵。「生きるための知恵」だから「知識よりも知恵」が大切と言われています。生きるための知恵(いのち)は、神の知恵・祖先の知恵で我々は生かされております。それを引き出すために神様に祈り「徳(生きる道標)」を戴くのが祈願です。
日頃の信心と感謝の心を常に抱き、頭の守り神様・知恵の大神様の御神徳と御加護をお受け下さい。

また、社名の「四方」とは、東西南北の四つの方向を指し、四方八方に至るまで隈なく御神徳が広がる事を意味しており、「方位除け」「厄除け」にも御神徳があります。

当神社の歴史

社伝によると、当神社は建久2年(1191年)平安時代末期に御創建されました。
御鎮座当初は「首(こうべ)の宮」と云われ、首より上部についての祈りを捧げると御神助の霊験著しく、誰云うとなく頭の守護神・知恵の大神として尊崇されるようになりました。

時代が流れ、宝永5年(1708年)江戸時代中期に、大神様が一人の枕上に幻の如く顕れ、次のような御信託を給わりました。「吾は汝等が崇敬せし首(こうべ)の宮なり。神霊と敬し事、吾において満足せり。今より後、吾を号して四方(よもう)神と崇敬すべし」と。これを諸民が集まり評議した結果、その冬11月16日を神日と定めて、大内山四邑(昔の大内山は4つの村に分かれていた)の氏神としてお祀りされ、新たに御造営される事となったのです。

その後不思議にも、さらに御威徳を給わる事がたびたび起こったと伝えられてます。例えば享保11年(1726年)丙午年6月の出来事。長い日照りが続き、作物や草木が枯れてしまい、困り果てた大内山四邑の氏子が当社において幣帛を奉り雨乞いの祈願をしました。するとたちまち青天の青空が曇り始め、雷が鳴るや大雨が降り出し、作物や草木は雨の恵みを受けて、氏子の多くが助かったと伝えられています。

このように、古来より霊徳が偉大な神様として、万民(すべての人)に広大なる御神徳を授けていただける、と近郷近在だけでなく県外からも篤い信仰を集めています。

当神社に伝わる信仰

頭之水(知恵の水)の話

頭之宮四方神社

頭之宮四方神社には一年を通じて多くの参拝者が訪れます。その理由の一つが、本殿近くに湧く御神水を頂くことです。
この水は古くから「頭之水(こうべのみず)」として敬われ、毎年2月第1日曜日には「水取神事」が行われます。
この「知恵の水」は、慶事万来・開運守護に霊験あらたかとされ、水取神事には「社業発展」「家内安全」「健康長寿」「合格祈願」「厄除祈願」などを求め、たくさんの人々が参拝されます。
また若返りを有する水として「若水」に相通ずる聖水信仰である「変若水(おちみず)」としても信仰されております。
お正月には「知恵の水」を若水として汲み、この水で作ったお雑煮や正月一番茶をいただくことで一年間の無病息災を願う風習があります。
四季折々、御神水にあやかり「知恵」が湧き出ますようにと参拝者が訪れ続けています。

頭之石(お頭さん)の話

頭之宮四方神社

「知恵の水」の近くに何人もの人の顔のように見える不思議な石があり、「お頭さん(おかしらさん)」と呼ばれています。
当神社の由緒と深い関係のある唐子川にあった石で、御神体の「おかしら」と関係することからここに据えられました。
頭や顔、肩や腕、その他ご自分の悪い体の快復を念じて「お頭さん」を撫でると、御神助をいただけるとされ、頭之宮四方神社の御神徳のひとつとされています

頭之石(お頭さん)の話

頭之宮四方神社
頭之宮四方神社

社殿に向かって右手、さながら古代の貝塚のように白と黒の石が積み上げられた「奉石所」があります。頭之宮四方神社には、古くから石を奉る風習があります。人間の「意志」は弱いことから、硬い「石」に託すことによって、意志が崩れないように、心願成就を願う伝承が今も受け継がれています。 小さな石は「お誓い石」と言い、「合格祈願」「交通安全」など、心を込めて書かれた真剣な文字が読みとれます。

お願いを掛ける時は「白石」に祈念し努力の誓いを立て、成就した暁には、お礼参りとして太陽の下で黒々と健康に豊かに働けることを願って「黒石」を奉納します。これはいずれの石も海の塩水で清められた5cm~6cm程度のものを納める習わしです。山地に鎮座する当神社では、遠い海の石を供えることに意味があります。 なお、現在では、石を用意する事が難しくなったため「無地絵馬」(絵の描かれていない絵馬)が用意してあり、無地絵馬発祥の神社でもあります。

命名の話

頭之宮四方神社

人は、誕生、命名、初節句、七五三、入学、成人式など、成長と共に人生儀礼を重ね大人になって行きます。「命名」はそうした人生の最初の儀式であり、「姓名は生命なり」と言われますように、大切な名前は御由緒の通り、子供と縁の深い「あたまの神様」である頭之宮四方神社で命名を授けられ、子供の健やかな成長と末永い、幸福をお祈り致しましょう。

当神社の見どころ

奥伊勢宮川峡県立自然公園の区域内に位置する当神社は、唐子川の渓流が巡り、南方には伊勢の宮川に注ぐ大内山川が流れ、村落に面した付近には山が迫り、四季折々に風景を彩ります。神域内の樹木は老樹な杉、檜を主に、その間を雑木が混在して、天然の風致(自然の風景などのもつおもむき)に富んでいます。
とくに、唐子川は春夏秋冬清流が絶えず流れ、その瀬には名石で知られる古谷石(ふるやいし)が点在しています。流域左岸の絶壁には奇岩の間に苔が生え、初夏の河鹿(かじか)、蝉時雨(せみしぐれ)、岩つつじ、秋の紅葉の頃は、水面に紅葉の影が映え、その風韻は稀に見る名所であります。
この仙境を訪れた参詣の方々が、心身を清め、鳥居を潜り、広庭に向かう千木を仰ぎ、霊木茂る空を見上げ、自然と自ら襟を正して頭を垂れる様子は、誠に森厳佳境の霊境であります。